金原明善の
事業毎の年表
History

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治水、利水、植林、製材、運輸、出獄人保護、北海道開拓、金融。多岐に渡るそれぞれの事業がいつどの様に興り、どの様な変遷を経て今に生きているかをご紹介致します。

  • 植林

植林事業の決意を固め、実地調査のため帰郷

「河を治めるためには、山を治めなければ、、、」との信念の元、植林事業に着手。
古橋源六郎から植林の体験談を聞いて指導を受けた。彼は奥三河北設楽郡稲橋村の豪農で、古くから
この地方の植林に尽くした実績を持つ、明善とはこの時知り合うが、生涯を通じての親友となる。
その後、植林候補地選定を目的とする調査のため、天竜川流域の山深く分け入り、瀬尻官有林を植林候補地に選ぶことに決定。瀬尻官有林植林委託願いの手続きに関する準備をし、10月14日農商務省静岡山林事務所に出頭して願書を提出する。

  • 植林

山林事務所より通達を受ける

山林事務所より「願文趣聞届」「委託期限文儀ハ本年ヨリ来ル明治三十三年迄」と通達があり、この事業の支配人として辻五平を登用した。彼は誠実で経済的手腕もあり、経営上の意見もよく立つ支配人であった。その兄、徳平は敏腕の材木商で早くから明善の元に出入りしていた熊谷三郎馬の合本興行社にも関係していた。しかし、病気で明治21年に死亡してしまう。その後は鈴木信一が支配人となる。

  • 植林

瀬尻官有林の造林が完成、御料局へ返納願いを出した

予定の期限より約2年余り早く造林が完成。
明善は人物を見分けることも上手であったが、人の使い方も上手であった。見事な成功の原因を構成する人的要素と並んで、資金の供給が順調であったことが大きい。その資金源は東里為替店であった。

  • 植林

宮内省から金盃や金が下賜された

瀬尻御料林の功に対して、宮内省から金盃1組、金5万円が下賜された。

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