金原明善の
事業毎の年表
History
治水、利水、植林、製材、運輸、出獄人保護、北海道開拓、金融。多岐に渡るそれぞれの事業がいつどの様に興り、どの様な変遷を経て今に生きているかをご紹介致します。
- 製材
掛塚で初めて製材機械を使用
掛塚で初めて丸鋸を使用するも、英国製で不慣れのため失敗(蒸気汽缶使用)
- 製材
上流竜山雲折で製材機械を使用
上流竜山雲折で水車を利用して丸鋸を動かし、成功
- 製材
合本興業社を設立する
明善は遠州産業開発のために、蒸気力と機械を応用し、近代的な製材事業を興す。丸鋸3台・堅鋸2台(火力による動力製材)を有する民間最大の規模を持つ大工場であったが、経営がうまくいかず、明治18年、明善の私物となる。初代社長は熊谷三郎馬であった。(明善の同志で、治河協力者の幹部であった)
- 製材
合資天竜製材株式会社と改称する
社長は平野又十郎で、合資天竜製材株式会社と改める。
- 製材
鍛治職人の鈴木宗五郎と天竜製材の大龍太平が出会う
- 製材
天竜木材株式会社を設立する
資本金25万円、専務取締役は鈴木信一、常務取締役は稲勝清三郎・林文吉で設立。
天竜木材株式会社と明善は法律上は何らの関係も存在しないが、役員陣の中には息子の明徳、竹内龍雄、平野又十郎、中山誠一、稲勝清三郎ら、門下生や同士が名を連ねているから明善の息のかかった会社ではある。
- 製材
天龍鉄鋼合資会社を設立
地元製材所で限界まで使用され、廃棄されるはずの輸入丸鋸を修理・改造できないだろうかと考えた。鈴木宗五郎と大龍太平は時間をかけて、天龍製材と天龍木材に話しかけて両者が2,000円を出資し、天龍鉄鋼合資会社を設立。
- 製材
天龍製鋸合資会社と改める
資本金2,450円、天龍鉄鋼合資会社と天龍製材と両者出資の形で設立。
- 製材
天龍製鋸株式会社と改める
資本金3万円、社長は鈴木信一で改称。