金原明善と
交流のあった人物
Comunication
渋沢栄一1840年〜1931年
幕臣・明治政府の官僚を経て実業家に転身。約500の企業、約600の教育機関・社会公共事業の支援に関わる。それらの功績を元に「日本資本主義の父」と称される。
https://www.shibusawa.or.jp/eiichi/eiichi.html
川村正平に見いだされ、「道義を第一とする実業家」として親交。共に財閥はつくらなかった。
明善の勧善会(更生保護事業)に渋沢が200円を寄附する際、「多く溜めた人は出し惜しみ、出し惜しみをしない人は多く溜まらないものです、世の中うまくいかないものです。ささやかであるが寄附させてもらいます」と二人で苦笑したと言われる。
大久保利通1830年〜1978年
幕末、明治初期の政治家。西郷や岩倉具視,長州藩士らと結んで王政復古、戊辰戦争を主導し明治政府を樹立。西郷隆盛、木戸孝允と並んで「維新の三傑」と称される。
1877年(明治10年)12月26日午前、時の内務卿 大久保に謁見した。
天竜川治水の顛末と金原家の全財産を工事費として提供するという真情を、誠意をもって申し上げた。
大久保はその誠意と熱意で動かされ明善の訴えに同意した。当時、一介の田舎農民が日本国の最高実力者の大久保に謁見することは想像も及ばなかったことであったが、事前に明善の志を知り、快く会っている。
実業之日本・実業家経歴伝より
山岡鉄舟(鉄太郎)1836〜1888年
幕末から明治時代の幕臣、政治家、思想家。
勝海舟、高橋泥舟と並んで、「幕末の三舟」と称される。
明治維新後、鉄舟は徳川家達に従い、駿府に下る。静岡県権大参事となり、明善と出会い、以来親交を結ぶ。
「天竜川通堤防会社設立の顛末と治水にかける精神をたたえ」明善に指揮を鼓舞する書を贈る。
山岡は明治5年に宮中に出仕し、10年間侍従として明治天皇に仕えていた。 明治11年、明善が明治天皇に拝謁の際には宮内大書記官として同席している。